得意淡然 失意泰然
(とくいたんぜん しついたいぜん)
鈴木亜由子選手の座右の銘です。どういう意味かというと、
- 物事がうまく行っているときは、おごらず淡々としていなさい。
- 物事がうまく行かないときは、落ち込まずゆったりと構えなさい。
名古屋大卒の秀才ランナーらしい考え方だなと思います。
鈴木亜由子選手の陸上人生は、常にケガとの戦いでした。
高校時代にケガをしてほとんど走れず、自分の骨を移植する大手術を受け、高校時代のほとんどをリハビリに充てています。
その後のリオオリンピックでも、ケガで10,000mの出走を辞退します。
そんなケガとの戦いの中で、覚悟を決めて挑んだ北の大地での初マラソンは、鈴木亜由子選手のかしこさがにじみ出るようなレースでした。
そしてマラソン2戦目のMGC。
本命と目された中で、見事プレッシャーに打ち勝ち、東京オリンピックマラソン代表の座を射止めます。
そんな鈴木亜由子選手のこれまでの活躍を振り返ると同時に、2021年名古屋ウィメンズマラソンでの鈴木亜由子選手の走りを予想します。
あわせて鈴木亜由子選手のプロフィールとこれまでの主な記録も紹介します。
※2021年3月8日更新
鈴木亜由子選手は怪我の為、欠場となりました。
鈴木亜由子 2021年名古屋ウィメンズで1年半ぶりのフルマラソンに臨む
悪夢再び
2020年1月。鈴木亜由子選手はアメリカのアルバカーキにて、8月の東京オリンピックに向けて高地トレーニングをしていました。
「しかし」という表現がいいのか、「またか」という表現がいいのかわかりませんが、鈴木亜由子選手は右足太ももの肉離れをおこしてしまいます。
予定していた2月の青梅マラソン30㎞をキャンセルし、治療に専念します。
この時の状況を鈴木亜由子選手はこう語っています。
「またもや力を出し切れない状態でオリンピック本番を迎えてしまうのか…」
リオ五輪の悪夢がよみがえります。
くしくも2016年、同じように本番前の合宿中に左足を疲労骨折してしまい、10,000mの出場を辞退、もうひとつ出場権のあった5,000mには出走しますが、本来の走りとは程遠く、あえなく予選敗退します。
ピンチをチャンスに
青梅マラソンをキャンセル後、コロナウイルスの影響により、東京オリンピックは1年延期になりました。
ケガの治りが思うようではなかった鈴木亜由子選手にとっては、不幸中の幸いです。
しかし、コロナの影響で練習環境も変化せざるを得ませんでした。
特に海外での高地合宿ができなくなり、幅のあるトレーニングメニューが組めなくなったことは、大きく影響します。
しかし、そこで日本郵政の高橋昌彦監督は、自身のトライアスロンの経験から、鈴木亜由子選手にロードバイクでのクロストレーニングを提案します。
ロードバイクであれば、足に負担をかけずに心肺を追い込むことができ、かつ全身の持久力を鍛えることができます。
マラソンとロードバイクは親和性が非常に高く、特にロードバイクを本格的に乗っている方は、マラソンのタイムも非常に速い選手が多いです。
私の知り合いにも、いっさいマラソンの練習をしていないにも関わらず、簡単にサブスリーを達成してしまった方がいました。
2021年1月。鈴木亜由子選手は徳之島に渡り、3月に出場予定の名古屋ウィメンズマラソンに向け合宿を行いました。
そこでも鈴木亜由子選手はロードバイクにまたがり、トレーニングに励んでいるといいます。
2021年名古屋ウィメンズマラソンで鈴木選手はこう走る
ロードバイクで培ったであろうスタミナを土台に、本来の武器である高速ペースで押していく走りで、鈴木亜由子選手は優勝を狙っていきます。
しかし、速いペースでのマラソンが初めてということに加え、一定ペースできれいに押していけるという鈴木亜由子選手の特徴から、ペーサーとして使われてしまう可能性が高いのも事実です。
もちろん高橋監督もそこはわかっているはずで、何かしらの対策を打って出るでしょう。
この記事を書いている2月21日時点では、ぺーサーがどこまで引っ張るか決まっていませんが、ペーサーの人選を見る限りでは、おそらくハーフまでと推測します。
実はこれがカギだと思っています。
鈴木亜由子選手が優勝するには、ハーフ地点でペーサーが離れた瞬間からのロングスパートがベストだと、私は思います。
優勝を争うであろう、ダイハツ松田瑞生選手と積水佐藤早也伽選手も、ハーフからの仕掛けには反応しにくいはずです。
もし付いてこられたとしても、どうせペーサーになるのなら、早目にレースを動かした方が相手の体力を削げるはずです。
単独走にさえなれば、淡々と押せる鈴木亜由子選手の持ち味が十分発揮できるはずです。
また、今回は無観客にはなりますが、地元名古屋の見えない大声援が彼女を後押しするはずです。
いたるところに鈴木亜由子選手を応援するのぼりが立ったり、店舗の看板が鈴木亜由子選手の応援メッセージに変わっていたりするはずです。
地の利もうまく生かし、優勝をつかみ取って欲しいものです。
鈴木亜由子 ギリギリだったMGCの戦い
めちゃくちゃ緊張していた鈴木選手
北海道マラソンでの華々しいマラソンデビューから約1年が過ぎた2019年9月15日。
鈴木亜由子選手はいよいよ運命の日を迎えます。
MGCの環境に近い北海道マラソンで優勝したということもあり、MGCでは本命として名前が上がります。
当日は朝早くからテレビ中継を行なっており、各選手の様子をテレビカメラが写していましたが、鈴木亜由子選手が過度に緊張している様子は、テレビの画面越しでもよくわかりました。
まさかのハイペースでカオスを極めたレース展開
レースはスローで流れると思われましたが、スタート直後からワコールの一山選手が飛び出します。
思いもよらぬハイペースに、対抗と思われていた松田選手がスタート直後から遅れてしまう波乱の展開。
まさかのペースに鈴木亜由子選手も戸惑っていましたが、その後はスムースにレースの流れに乗ります。
前半は前田穂南選手と共に淡々と快調なペースで飛ばし、残りの出場選手は次々と脱落していくカオスなレース展開となります。
しかし20km手前付近から鈴木亜由子選手は自重し始め、前田選手のペースについて行くことをあえてやめます。
その後も前田選手は飛ばし続け、そのまま2:25:15でゴールします。
鈴木亜由子選手は30km過ぎから暑さのせいもあり、急激にペースダウンしてしまいます。
さらに35km過ぎの登り坂からは、普段の鈴木亜由子選手の走り方とは程遠い、上にぴょこぴょこ跳ねるような推進力のない走り方に。
40kmを過ぎてからは、ペースも1km4分まで落ちてしまい、ゴール手前では3位の小原怜選手に4秒差まで迫られます。
それでも何とか粘り切り、2:29:02秒と見事2位で東京オリンピックの出場権を獲得します。
レースを振り返って
レース後鈴木亜由子選手は、
「後半きつくてただただ絞り出すだけの走りになってしまった」
と語っています。
また、こんなことも言っていました。
「過度な緊張の中で走り出してしまったので、それで体力を消耗したということもある」
テレビ越しでも鈴木亜由子選手の緊張が伝わり、こちらも緊張しそうになるくらいだったので、相当なプレッシャーの掛かるレースだったのがよくわかります。
しかし、困難な展開に負けず、代表権を勝ち取った鈴木亜由子選手にとって、このMGCほど貴重な経験は、今までなかったに違いありません。
鈴木亜由子 実力を出し切らずも勝ち切った初マラソンの北海道マラソン
2018年8月。この年日本列島は酷暑に見舞われ、見たこともないような最高気温の数字が天気予報に並びます。
そんな中、北の大地ではMGC出場を賭けたフルマラソンが行なわれます。
鈴木亜由子選手も、MGC出場を目指して自身初となるフルマラソンに挑みました。
レース当日スタート直後の札幌の気温は25.5℃と、例年に比べて低く、コンディションはまずまずの状態でした。
暑さにめっぽう強い鈴木亜由子選手には物足りない条件でしたが、鈴木亜由子選手はそんな中素晴らしい走りを見せます。
スローな展開にも焦らずじっくりと足をためる
入りの5キロは17:50と超スローペースとなりますが、鈴木亜由子選手は慌てませんでした。
北海道マラソンでのMGC内定条件は、
・2:32:00以内で優勝
・2:30:00以内で6位まで
となっていました。
実質2:30:00以内で走れば6位以内はほぼ間違いないところなので、鈴木亜由子選手は確実に2:30:00を切るレースをしようと決めていたようです。
さらに12㎞付近で天満屋の谷本観月選手が集団から抜け出し、25㎞付近で鈴木亜由子選手と約1分差でトップを独走しますが、
「後半追い風になってから追いつける」
と冷静に判断し、後を追いません。
おっかなびっくりの安全運転で足を余らせゴール
その読みがぴたりと的中します。
30㎞を過ぎてペースが落ちてくる谷本選手に対し、鈴木亜由子選手は25㎞過ぎから徐々にペースを上げ始めます。
そして33㎞手前で谷本選手を抜き去ると、そのままペースを緩めずに、2:28:32でゴール。
ゴール後鈴木亜由子選手は、
「足がパタっと止まるのが怖くて、ラストはかなり安全運転になってしまった」
とインタビューで語っています。
私はテレビで見ていましたが、前後半のラップを見ると
・前半ハーフ1:14:44
・後半ハーフ1:13:48
強さの証明であるネガティブスプリットでのゴールになっています。
特に最後の2.195kmは07:34(Ave:3.27)と、冬のマラソンのタイムと全く変わらないラップです。
これで安全運転という表現になる鈴木亜由子選手、まだまだ底知れないポテンシャルを残したままのレースとなったようです。
鈴木亜由子 不完全燃焼のリオオリンピック
2016年8月12日、リオオリンピック女子10,000m決勝のスタート地点に、鈴木亜由子選手の姿はありませんでした。
直前合宿で左足甲の疲労骨折をしてしまい、欠場を余儀なくされます。
それでもなんとか痛みをこらえ、4日後の5,000mの予選に出場しましたが、本来の走りとは程遠く、15:41:82で同組12着と早々にオリンピックを終えます。
レース後のインタビューをテレビで見ていましたが、悔しさで涙を浮かべている鈴木亜由子選手を見るのは初めてのことでした。
鈴木亜由子 地元凱旋となった
第100回日本選手権10,000m
見事な勝利でオリンピックの切符を勝ち取る
2016年6月24日。梅雨の時期らしい雨が降る中、午後6時45分に女子10,000m決勝がスタートします。
名古屋市にあるパロマ瑞穂スタジアムでは、鈴木亜由子選手の地元豊橋市がある愛知県ということもあり、スタート直後からテレビでもわかるくらいに、鈴木亜由子選手への応援の声が鳴りやみません。
スタートから鈴木亜由子選手は積極的に前に出てレースを進めます。
そんな中、2,000mを6:17で通過すると、同じ日本郵政所属の関根花観選手が先頭に出て、鈴木亜由子選手を引っ張ります。
実はこの関根選手の引っ張りの裏には、こんなエピソードがありました。
レース15分前に、雨に濡れた階段から滑り落ち、お尻を強打して暫くうずくまるというアクシデントに、鈴木亜由子選手は見舞われていたのです。
それを近くで見ていた関根選手は、「自分が亜由子さんを引っ張らなくては」という思いになったと言います。
そんな関根選手の引っ張りのおかげで、鈴木亜由子選手はハイペースで走り続けます。
鈴木亜由子選手と関根選手が交互に前に出るような形で引っ張り続け、気付けば後ろにいるのは、同じくリオ代表に選ばれた資生堂の高島由香選手のみ。
そんな高島選手も7,000mからは遅れ始め、関根選手と2人のランデブーに。
最終的には残り1,000mでスパートをかけた鈴木亜由子選手が関根選手を振り切り、31:18:73で優勝し、オリンピック内定を決めます。
さらに関根選手も31:22:92で2位となり、オリンピック出場に大きく近づきました。
スタジアムはものすごい歓声に包まれ、鈴木亜由子選手の人気の高さを象徴しているようでした。
鈴木亜由子
1分37秒差奇跡の大逆転劇!
2016年都道府県女子駅伝で活躍
都道府県駅伝での優勝がない愛知は、悲願の初優勝を目指し、鈴木亜由子選手を招集します。
足の状態が万全でない中でも、地元愛あふれる鈴木亜由子選手は喜んでアンカー9区10kmを引き受けます。
そして、レースは地元京都がトップで、アンカーである資生堂・奥野有紀子選手にタスキをつなぎます。
続いて兵庫、群馬、愛知と続きます。
9区スタート地点での差は、
1位:京都 奥野 有紀子
2位:兵庫 竹地 志帆(1分13秒)
3位:群馬 西原 加純(1分16秒)
4位:愛知 鈴木 亜由子(1分37秒)
となっていました。
スタートから鈴木亜由子選手は全力で飛ばします。
そして中間点での差は
1位:京都 奥野 有紀子
2位:兵庫 竹地 志帆(35秒)
2位:群馬 西原 加純(35秒)
4位:愛知 鈴木 亜由子(53秒)
この時点でトップとの差を44秒詰めています。
しかし、その前にいる群馬西原さんは2015年世界陸上代表、兵庫竹地選手も西原選手と同じくヤマダ電機の駅伝メンバーですので、簡単には抜けないだろうな、という感じでテレビを見ていました。
しかし7km手前でなんと西原選手を抜き去り、7.2km地点では
1位京都:奥野選手
2位兵庫:竹地選手(18秒)
3位愛知:鈴木選手(25秒)
もう少しで追いつきそうなところまで来ます。
そして向かえた8km地点で、先に兵庫の竹地選手を捕えます。
ついには8.3km過ぎにトップ京都の奥野選手を抜き去り、なんとトップに躍り出ます!
この時ばかりは、私もかなり興奮して大きな声を出していました。
こんなことってあるんだな~と、いまだにこの映像を見ると、あの時の興奮がよみがえります。
結局そのまま鈴木亜由子選手が逃げ切り、愛知が初優勝を飾ります。
最終順位は、
1位:愛知 2:16:02
2位:兵庫 2:16:22
3位:群馬 2:16:28
4位:京都 2:16:35
こうなりました。
個人の区間順位では鈴木亜由子選手が区間賞かと思いきや、
9区10km区間順位
1位:関根花観 31:18
2位:鈴木亜由子 31:30
まさかの同じ日本郵政所属の関根選手が、鈴木亜由子選手を抑えて区間賞を獲得します。
この時から関根選手の躍進は始まっていたんですね。
鈴木亜由子選手のベストレースを上げるとすると、おそらく多くのファンがこのレースを上げると思います。
そのくらいインパクトのあるレースとなりました。
鈴木亜由子 プロフィール
- 名前:鈴木 亜由子(すずき あゆこ)
- 生年月日:1991年10月8日
- 出身:愛知県豊橋市
- 進路:豊橋市立豊城中学
時習館高校
名古屋大学
JP日本郵政グループ
※鈴木亜由子-Wikipediaより参照
韋駄天少女として地元では超有名な小学生
鈴木選手は小学校2年生の時に、地元の陸上クラブ「豊橋陸上クラブ」に入ります。
入ったきっかけは、両親が営む米屋が忙しく、放課後に亜由子さんを預けるところを探していて、近所にあったクラブだったからだそうです。
鈴木亜由子選手は小学生の時から才能を発揮し、6年生の時には1kmを3分2秒で走り、
- 韋駄天少女
- F1スーパーガール
と呼ばれていたそうです。
全中1,500mを連覇し、天才中学生の名をほしいままにする
地元の豊橋市立豊城中学校に入学しますが、陸上部がなかったため、そのまま豊橋陸上クラブで練習を続けます。
中学校ではバスケットボールの部活に入っていましたが、真剣にバスケをやろうと思ったほど上手かったそうです。
陸上競技は中学1年生のころから愛知県では無敵で、公式記録によると、レースでは1度も負けていません。
2年生になると全国でも無敵となり、いきなり全中(全日本中学陸上選手権)で2冠【800m・1500m】を果たします。
3年生の全中では、800mで転倒してしまい優勝を逃しますが、1,500mでは見事連覇を果たします。
都道府県駅伝にも2年生、3年生時に出場し、3区で見事2回連続で区間賞を獲得します。
失意の高校時代と夏目先生との出会い
ここまで順風満帆な陸上人生を歩んできた鈴木亜由子選手でしたが、高校時代はケガとの戦いでした。
満足に走れず、リハビリを繰り返す毎日。
何度も心が折れそうになったのではないでしょうか?
そんな時に支えてくれた恩師が
「夏目輝久先生」でした。
ケガを繰り返す中で、時習館高校の陸上顧問の先生とも方針が合わず、すべてがうまくいかないとうなだれる鈴木選手に、父親である信幸さんが、当時東三河陸上競技協会会長を務める夏目先生に助けを求めました。
そこから夏目先生独特の「走らない」練習が始まります。
- トレッキング
- エアロビクス
- クロスカントリー
- サイクリング
走ること以外で追い込むことで、ケガのある足に負荷をかけずに心肺能力を鍛えることができます。
さらに鈴木亜由子選手があきないように、色々なメニューを工夫をして作成したようです。
数々のインタビューや特集でも、決まって鈴木亜由子選手はこう言います。
夏目先生がいなかったら私は陸上を続けていない
この言葉からも、鈴木亜由子選手は言葉では表せないほど、夏目先生に感謝していることがわかります。
輝かしいキャリアの裏側で、こういった挫折を経験して、アスリートは強くなっていくんですね。
復活の名古屋大学時代
時習館高校という、毎年10人以上東大に送り込む超名門校から、現役で名古屋大学へ進学するというまさに「文武両道」を地で行く鈴木亜由子選手。
陸上競技でも、早速復活の狼煙を上げます。
1年生の国体5,000mで、15:37:83と早くも15分台へ突入します。
そして2、3年生の時には全日本インカレ5,000mで連覇を果たします。
4年生の時に出場したユニバーシアードでは、
- 5,000m
15:51:47【第2位】 - 10,0000m
32:54:17【優勝】
本格的に復活を遂げます。
その他にも、都道府県駅伝では4年連続で1区6kmを務め、
- 1年生:19:49【区間6位】
- 2年生:19:23【区間4位】
- 3年生:19:25【区間4位】
- 4年生:19:22【区間3位】
しっかりと活躍します。
そして卒業の2014年。鈴木亜由子選手の進路が噂される中、JP日本郵政グループ女子陸上部に第1期選手として入部します。
鈴木亜由子 自己ベストと主なレース結果
自己ベスト(2021年2月現在)
- 1,500m:4:18:75(2010年)
- 3,000m:8:58:08(2014年)
- 5,000m:15:08:29(2015年)
- 1,0000m:31:18:16(2016年)
- ロード10㎞:33:36(2018年)
- ハーフ:1:07:55(2019年)
- フルマラソン:2:28:32(2018年)
主な記録と結果
2004年度(中学1年生)
2004年全国中学校陸上競技選手権大会800m
2:14:97【第5位】
愛知県駅伝強化豊橋競技会1,500m
4:43:23
2005年度(中学2年生)
2005年全国中学校陸上競技選手権大会800m
2:11:72【優勝】
2005年全国中学校陸上競技選手権大会1,500m
4:31:12【優勝】
2005年ジュニアオリンピック1,500m
4:28:33【優勝】
第24回都道府県女子駅伝3区3km
9:27【区間賞】
2006年度(中学3年生)
2006年全国中学校陸上競技選手権大会800m
2:13:65【第5位】
2006年全国中学校陸上競技選手権大会1,500m
4:24:74【優勝】
愛知県駅伝強化豊橋競技会3,000m
9:10:71
2006年ジュニアオリンピック3,000m
9:18:41【優勝】
第25回都道府県女子駅伝3区3km
9:27【区間賞】
2007年度(高校1年生)
2007年愛知県国体選考春季選抜競技会800m
2:12:88【第1位】
2007年東海陸上競技会1,500m
4:22:11【優勝】
2007年インターハイ1,500m
4:29:06【第11位】
2008年度(高校2年生)
2008年愛知県選手権1,500m
4:26:61【第2位】
2008年東海陸上競技会800m
2:16:23【第3位】
2008年インターハイ1,500m
4:27:29【第15位】
2009年度(高校3年生)
2009年愛知県東三河支部ジュニア協議会1,500m
4:32:07【第1位】
2009年インターハイ3,000m
9:20:24【第8位】
2009年愛知県高校駅伝1区6km
20:22【区間2位】
2009年東海高校駅伝1区6km
19:50【区間賞】
2010年度(大学1年生)
2010年東海地区国立大学陸上競技会3,000m
9:22:36【第1位】
2010年国民体育大会1,500m決勝
4:18:75【第4位】
2010年国民体育大会5,000m決勝
15:37:83【第6位】
第29回都道府県女子駅伝1区6km
19:49【区間6位】
2011年度(大学2年生)
第80回全日本インカレ5,000m決勝
15:44:02【優勝】
都道府県女子駅伝選抜競技会3,000m
9:22:94【第2位】
一橋大・名古屋大女子対抗競技会5,000m
15:33:47【第1位】
第30回都道府県女子駅伝1区6km
19:23【区間4位】
第26回福岡クロスカントリー6km
20:56【第4位】
2012年アジアクロスカントリー大会8km
28:35【第10位】
2012年度(大学3年生)
2012年世界学生クロスカントリー大会5km
16:15【第10位】
第96回日本選手権5,000m決勝
15:50:16【10位】
第81回全日本インカレ5,000m決勝
15:44:45【優勝】
2012年国民体育大会5,000m決勝
15:34:15【第2位】
2012年国際千葉駅伝2区5km
15:32【区間4位】
第31回都道府県女子駅伝1区6km
19:25【区間4位】
第27回福岡クロスカントリー6km
20:38【第3位】
2013年度(大学4年生)
第97回日本選手権5,000m決勝
15:31:45【4位】
第24回ユニバーシアード5,000m決勝
15:51:47【第2位】
第24回ユニバーシアード10,000m決勝
32:54:17【優勝】
第82回全日本インカレ5,000m決勝
15:46:39【第2位】
2013年国民体育大会5,000m決勝
15:46:30【第2位】
2013年国際千葉駅伝2区5km
15:31【区間賞】
2013年富士山女子駅伝4区9.4km
31:14【区間4位】
第32回都道府県女子駅伝1区6km
19:22【区間3位】
2014年度(JP日本郵政)
第239回日体大記録会3,000m
8:58:08【PB】
第62回実業団選手権5,000m決勝
15:14:96【第2位】
2014年国際千葉駅伝2区5km
15:21【区間賞】
第15回日体大女子記録会10,000m
33:23:48
第33回都道府県女子駅伝9区10km
32:25【区間2位】
2015年度(JP日本郵政)
第99回日本選手権5,000m決勝
15:24:14【第3位】
2015年世界陸上北京大会5,000m
予選2組15:28:18【第6位】
決勝15:08:29【第9位】【PB】
第63回実業団選手権10,000m決勝
31:48:18【第1位】
第1回プリンセス駅伝3区10.3km
32:13【区間賞】
第35回クイーンズ駅伝3区10.9km
34:58【区間5位】
第34回都道府県女子駅伝9区10km
31:30【区間2位】
2016年度(JP日本郵政)
2016カージナル招待10,000m
31:18:16【PB】
第250回日体大記録会5,000m
15:26:28
第100回日本選手権5,000m決勝
15:24:47【第2位】
第100回日本選手権10,000m決勝
31:18:73【優勝】
リオオリンピック5,000m予選2組
15:41:81【組12位】
リオオリンピック10,000m決勝
【DNS】
第36回クイーンズ駅伝2区3.9km
12:15【区間5位】
2017年度(JP日本郵政)
2017カージナル招待10,000m
31:41:74
第101回日本選手権5,000m決勝
15:20:50【第2位】
第101回日本選手権10,000m決勝
31:41:65【第2位】
2017年ロンドン世界陸上5,000m予選1組
15:24:86【組14位】
2017年ロンドン世界陸上10,000m決勝
31:27:30【第10位】
第37回クイーンズ駅伝1区7km
22:09【区間3位】
2018年度(JP日本郵政)
ボルダーボウルダー10km
33:36【第6位】
第102回日本選手権10,000m決勝
31:57:82【第2位】
2018年北海度マラソン
2:28:32【優勝】
第38回クイーンズ駅伝3区10.9km
34:46【区間2位】
第37回都道府県女子駅伝9区10km
31:08【区間2位】
第73回丸亀ハーフマラソン
1:07:55【第2位】【PB】
2019年度(JP日本郵政)
2019カージナル招待10,000m
31:33:62
第103回日本選手権10,000m決勝
31:46:25【第2位】
マラソングランドチャンピオンシップ【MGC】
2:29:02【第2位】東京オリンピック内定
第39回クイーンズ駅伝3区10.9km
34:42【区間2位】
2020年度(JP日本郵政)
第40回クイーンズ駅伝5区10km
32:18【区間賞】
まとめ 鈴木亜由子選手の向かう先は? パリオリンピックマラソン代表を目指すのか?
気が早いようですが、東京オリンピックが終わった時、鈴木選手は何を思うでしょうか?
もちろん結果次第ではありますが、早々にパリオリンピックを目指すのではないでしょうか?
鈴木選手が東京オリンピックマラソン代表を射止めたMGCは、まだマラソン2戦目でのことです。
名古屋ウィメンズ、東京オリンピックと2つのマラソンを走り終えても、鈴木選手はまだまだ自分に満足しないはずです。
この先もさらなる高みを目指して進んで行くことでしょう。
鈴木選手の陸上人生は、まだまだ終わりそうにありません。
今後のさらなる活躍に期待しましょう。
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